プロフィールの「こんな人」でもある立川志の輔さんの落語を車の運転中に飽きもせずに何度も何度も聞いている
滑舌が良くて話術に長けているのは当然のことではあるが、
何よりも感心するのは「間」である、話と話を結びつける無言の時間帯
そこでは当然に何も声を発していないのだが、聞いている側の頭の中は無ではない
この先の展開やら噺の出演者たちの心情やらを思い思いに巡らしたりしている
無音の状態から次の言葉が発せられる時
そのタイミングが何とも絶妙で、だからこそぐいぐいと噺に引き込まれてしまう
今月の初めに出張で飛行機を利用した時に、同じ演目を別の落語家さんが演じているのを機内で聞いた
噺の筋が判っていることもあるが、同じ様に笑えないし噺に引き込まれることもなかった
その差はやっぱり「間」が私とは合わないからなのだろうなぁと感じていた
以前にもご紹介した桃知利男さんが、いろんな人の著書やブログを読んでいると
文字には表されていない「行間」に書き手の本心が見え隠れするとおっしゃっていたことがあった
更に、「脳あるヒト心ある人」を養老孟司さんと共著された角田光代さんも
幼い頃に読んだ小説を改めて読み返してみると、文字にはダイレクトには現していない
著者の本当に伝えたいことが見えるようになってきて、昔は嫌いだった(つまらないと思った)作家の偉大さに気づかされたと書かれている
合わせて、「悩む力」の姜尚中さんもその著書の中で夏目漱石の様々な小説を解説しつつ
現されている文字の裏側にある、漱石が伝えたかったであろう事柄を独自の視線で伝えてくれている
「間」や「行間」という表現しないことで伝えることはとてつもなく困難な作業のように私は感じる
完全に説明しきってしまわないと気が済まない(まさしく左脳的)のが私の性分であるからだ
逆に考えれば、受取り手として私は表現しないで伝えようとしている送り手側の思惑をどこまで理解しているだろうとも思う
それを実感として感じられるようになるにはまだまだ時間が掛かりそうである
過去のログにも共通することでもあるが、「間」とか「行間」を操れるようになりたい今回のログのように思考を始めると
不思議とそれに纏わる事柄に自然に出くわす機会が多くなる
それは私の中で興味心が発動したというのがきっかけなのだと思う
興味心の発動から文字として表現するまで、一応、私にも「間」はあるらしい(笑)
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