前回のログの交通違反の罰金を払ってきた
郵便局の窓口へ納付書と現金を出して処理をしてもらう
しばらくして名前を呼ばれて領収書をもらった
そして、帰り際「ありがとうございました」ではなくて
「お気をつけて!」と声を掛けられて郵便局を後にした
瞬間的にムカッとした、そりゃ確かにわたしゃぁ交通違反をしましたよ
だから罰金払ってんじゃん、別にアンタにそんな注意をされる謂れはどこにもないんじゃって思った
郵便局の人はそんなつもりで声を掛けてくれたんじゃないことは判っている
きっと親切心から出た言葉なのだろうとも判っている
でも、私の心というか受け止め方はそうじゃない
自分の非はちゃんと判っている上に更に念を押されるというか
ダメ出しをされたようで面白くなかったのだ
多分、初めて会った人で、これから先も会うことはない人だろう
だから間違いなく私のことは何も知らない人だ
そんな人に、交通違反をしたダメな男だと私の全人格を否定されたように感じた
これは言葉を私が勝手に拡大解釈しているだけなのだ
最終的な全人格を否定されたと思うまで、時間にして多分1秒とはかかっていないだろう
言葉を聞く
↓
はぁ!?、こいつ嫌味いってんのか!?
↓
お前は一体誰?アンタは何様のつもり!?
↓
アンタが俺の何を知ってるっていうんじゃ!
↓
なんでアンタなんかに注意されなきゃならないの?
↓
こんなことで俺を評価するなよ
↓
俺は本当はもっと凄い奴なんだぞ!
↓
自分の人格を必死に肯定しようとする
と、順序は多少違うかもしれないが、最初は予想外の言葉に驚き、そして戸惑い、その後に憤り、相手を否定して、そして自分の優位性を高めて自分を守ろうとする
こんなことを寝ている時間を除いてずーっと頭の中でやり続けているのである
明らかに郵便局員さんは私の中では既に敵以外の何者でもなくなっている
でも、仮に親しい関係になってその方の性分というか性格が判ったら
親友と呼べるほどの友達になれるかも知れないのである
こうやって自己分析が出来ないと郵便局員さんは私が死ぬまで私の中で私を憤らせた人として記憶に残っていくことでしょう
解釈の違いで自分の将来の可能性を消してしまうことがある典型のような話なのだと思う
自分の可能性を自分で消さないこと、大切にしたいものである
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