久しぶりの乱読シリーズである
「人間の覚悟」出版:新潮新書 著者:五木寛之 を読んだ
"とうとう覚悟を決める時が来た..."という言葉で始まる
リーマンショックから始まった世界金融危機の煽りを受けて日本経済が大打撃を受けていることは前回も書いた
著者は諦める覚悟をすることで惑わされないで生きていけると説いている
諦めるとは「明らかに究める」といい、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることであると書かれている
私的には諦めると表現するよりは依存体質若しくは期待体質からの脱却だと受け止めている
きっと誰かが助けてくれる、きっと誰かが何かしてくれる...
そんな期待してしまう心の持ち主から卒業しましょうという感じか
期待=ファンタジーだと心理学の講師でもある谷口さんから教わった
ファンタジーとは夢の世界で、それが現実化する可能性は限りなく低い
なのにその夢の世界の御伽噺をあてにして日常生活を組み立てているのだとしたら
それは落胆の連続の日々となることだろう
言い換えれば他者に依存したり期待したすることを諦める覚悟とも言えるだろうか
又、人は必ず何かの犠牲の上に生きていて誰しもが悪人なのだと自覚しようという件があった
これに関しても、一般には誰しも自分は善人で良識人であると思い込んでいる
仮にそれと違う評価を受けた時に心が揺さぶられることから脱却しようというのが本質的に言いたいことのような気がした
悪評を受けると誰しも気分は良くない、心も頭も平常ではいられなくなるのだ
そんな事態を避けるためにそもそも自分は悪人なんだと自覚しようと言ってるのだと(私は)理解する
そうした上で生きた証となる成果や意義のある人生だけがすべてじゃない
ただそこで生きているということだけでも実はとっても大変なことでそれだけでも価値がある
気付かないうちに必然的な他者との関わりの中で必ず何らかの影響を与えているもので
「如何に生きるのか!?」なんて考えなくとも日々を平穏に暮らせることが何よりも大切なのだと
これも私の理解はやや違う、意義や価値を自分で自分に与えることが出来る人ならば
他者がどんな評価をしようが一切お構いなしで平常心が保てるなのである
でも自分を自分で評価して存在価値を自分で見出せる人は決して多くなく
他者から評価されることで自分の存在価値を確認している人が大多数なのだ
だから悪人だと言われると過剰に反応してしまうし、他者に(評価をしてもらう)依存から脱却できないのである
自らの人生を成功と考えるのも失敗だったと後悔するのも本当は全ては自分が決めている
他者は自分以外の人生の良し悪しに関して最後まで関わってくれるほど自分以外の人に興味なんて持っていないものなのである
そんな自らの判断を鈍らす要因は事実から派生する自分の解釈(心や思考の動き)なのである
自分なりの理解(解釈)では、冒頭の「事実を真正面から受けとめること」の真意は
まさしく解釈で動揺せずに事実とは何かを探し出す目を見つけようということのような気がした
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